この句は、小林一茶の二歳で亡くなった娘のことを思い出し詠んだと言われております。赤い花は彼岸花といわれており、小林一茶が娘と墓参りをした際に、無邪気に彼岸花を毟る娘を思い出して詠んだようです。また娘の墓参りに行ったときに、その情景を思い出す小林一茶のなんとも悲しい心情も感じます。
大切な人と過ごした時間は、私たちたちが忘れぬ限り消えることはありません。ですが私たちはどこまでいっても不完全な人間で、時が流れるとともに、悲しいかな記憶は徐々に薄れていくものです。今の時代はスマホがあり、好きな時に写真もすぐ撮れます。ですが、その写真もまた新しい写真を撮れば見ることも少なくなります。
仏壇に手を合わせたり、お墓参りや法事を行う意味は各宗派で様々ですが、共通して言えることは、視覚や聴覚、更には身体を動かし使うことによって深く記憶に残すことができます。日常生活で毎日目に入る仏壇や、少しの移動と掃除が必要なお墓参り。心を落ち着かせ、ご葬儀の時に聞いたお経や、そのお経を法事で再度聞くこと。これらは仏様も喜んでくださいますが、一番は忘れてしまう不完全な私たち人間の為です。仏様は、私たちが思う以上に私たちの幸せを願っておられます。その仏様への感謝を忘れる訳にはいきません。