私事ですが、私の母はキリスト教系列の熱心な信者で、私や兄弟は幼い頃から週三回ある集会と呼ばれる集まりに参加しておりました。当時は幼心にも母の信心に感服していたのを覚えております。
私たちのような人間は「二世」と呼ばれ、SNSを見ると苦しんでいる二世が多く見受けられます。なぜ苦しみが生まれるのかというと、勿論宗教の教義にもよりますが、幼い頃から親の価値観や宗教観を押し付けられるがあまり、自己肯定感低くなってしまったり、自分独自の価値観が形成されないからだと思います。
「信心」は私達浄土真宗においてはとても重要な鍵です。ですが、その鍵は様々な形があり、使い方を間違えてしまうと人々を傷つけてしまう武器にもなることは忘れてはいけません。まず信心を培う上で最初に大切なことは、身近な先立たれた御家族や御親戚に対しての信心で、神や仏ではありません。きっと皆様もお墓や仏壇の前で手を合わせた時に想いを伝えた経験があると思います。故人に想いを伝えるということは、人間の姿はありませんが、別の存在があって当たり前だと言わずもが認識しているということです。それこそがまず大切にしなければいけない純粋な信心です。是非皆様が既に持っている純粋な信心で、今後も故人や御先祖様に対して想いを伝え続けて頂ければ幸いです。